「倫理に出会って」をお届けします No.21

現在、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)予防のため、活動を休止しております。

この未曽有の危機の今こそ倫理が必要ではありますが、なかなか集うことができず、
皆様に倫理の良さをご理解いただく機会がないのが現状です。

そこで皆様に少しでも倫理に触れていただくために
倫理体験をこのホームページに掲載しております。

有志による寄稿となります。
掲載は不定期となりますこと、ご了承くださいませ。

第21回は花巻市倫理法人会 名須川晋専任幹事です。

 


 

『岩手の人』
高村光太郎

岩手の人眼静かに、
鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて
口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。
地を往きて走らず、
企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。
斧をふるつて巨木を削り、
この山間にありて作らんかな、
ニッポンの背骨岩手の地に
未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

 

まだまだ登壇少ないモーニングセミナー講話でありますが、いつも胸ポケットの手帳に忍ばせ、
必ず引かせていただく題材が高村光太郎さんの『岩手の人』という詩です。

 

昭和20年。宮澤賢治の弟、清六さんを頼って疎開。
花巻市西部の太田村に独居した光太郎は、地元民と触れ合う中で岩手県民を「沈深牛の如し」、
落ち着いていて思慮深くその様は牛のようだと表現しました。

そして、大地を一歩一歩踏みしめながら、決して慌てることなく目標達成に向けて着実に歩んでいく、
そんな県民像を書き表しています。

ニッポンの背骨と称す奥羽山脈の麓に生きる私たちは、無骨にして決して洗練されては
いないだろうけれど内に秘めたる信念と矜持が他者から認められたことを
証明する詩であろうと思うのです。

 

光太郎は地元の学校に
「正直親切」
「心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する」
と揮毫した校訓を送り、その精神は子どもたちに連綿と受け継がれています。

 

絶対倫理の「すなおな心」に通ずる真理も伝えていてくれたのであります。