「倫理に出会って」をお届けします No.11

現在、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)予防のため、活動を休止しております。

この未曽有の危機の今こそ倫理が必要ではありますが、なかなか集うことができず、
皆様に倫理の良さをご理解いただく機会がないのが現状です。

そこで皆様に少しでも倫理に触れていただくために
倫理体験をこのホームページに掲載しております。

有志による寄稿となります。
掲載は不定期となりますこと、ご了承くださいませ。

第11回は会員のかたからのご寄稿ですが、匿名での掲載を希望されました。

 

 

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苦難の捉え方

 

 

 

『倫理経営のすすめ』(丸山敏秋理事長著)を読み、その中の一節にありました苦難の捉え方について
自分なりに感じたことを以下に記します。

 

「あなたは苦労しなくて良いなあ、家がお金持ちだから」
「将来は黙ってても社長になれるから良いなあ」

幼い頃、周囲からこのようなことを言われながら私は育ちました。

とても嫌でありました。

 

子供らしく友人たちと仲良く楽しく遊びたいだけなのに、何処に行ってもそのようなことを言われる。
学校の先生たち、友人の親たち、周囲の大人たちも私を何か違う目で見ている。

私の周囲だけ違う空気が流れている。
そのように感じ始め、孤独感を抱えながら、毎日を過ごすようになっていました。

「家が商売などしていない、普通のサラリーマンの家庭に生まれれば良かったなぁ」
などと考えるようにもなっていました。

自分が生きていること、そのものが周囲の人々に対し、何か申し訳ないことでもしているかのような
気持ちさえ抱くようになっていました。

少年時代、いや大人になってからもしばらくは両親から、
「そんなペコペコするな」と言われたものでしたが、それはきっとこの頃からの
名残りだったのでしょう。

他人に対し、堂々と振舞えない自分になっていました。

そして、いつの間にか、それが当たり前になっていました。
自分の殻に閉じこもり、周囲に対し心が開けない、引っ込み思案の人間に
私は成長してしまったのです。

 

しかし、あの頃、あのような体験をしていなかったら、私はどのような人間になっていたでしょう。

あの頃、あのような体験をしたからこそ、他人に対し、配慮も出来る自分に
なったのではないでしょうか。
他人の痛みも(少しは)考えられる自分になったのではないでしょうか。

あの頃の体験もあり、その後の様々な人たちとの出会いも経て、
現在の自分になれているのではないでしょうか。

あのような体験がなかったとしたら、わがまま三昧に成長し、自分勝手で、他人の痛みなど
考えられない、傲慢な人間に成長していたかも知れない…。

 

かつて私をうらやましがっていた彼らには彼らの苦労があり、
うらやましがられていた私には私の苦労がありました。

そして、これから先もずっと、その時その時の苦労がある。
成長に伴い、味わう苦労もある。

 

 

皇室関係のテレビ番組やニュースを観ていて、よく考えてしまうことでありますが、
天皇・皇后両陛下はじめ、皇室の方々を見ていて、うらやましいと思う方が
どれだけ居られるでしょうか。
うらやましいと思われる方々も居られるかも知れません。
しかし、そのような方々は何を持ってうらやましいと思うのでしょうか。
見た目の華やかさでしょうか。
優雅に思える暮らしでしょうか。

私はむしろ、私たち民間人にはない、様々なご苦労、または目に見えない様々なご努力を
されているのであろうと考えてしまいます。

 

『隣の芝生は青く見える』という諺がありますが、他人をうらやましいと思ってしまう人は
おそらくは見た目の華やかさや、優雅さなど目に見える表面的なものしか追っていない。

その華やかさや優雅さの裏側に隠された苦労や努力といったものを見ていない。

 

友人が子供心に私に対し、
「あなたの家はお金持ちだから良いなあ」と言った。
「あなたは黙ってても社長になれるから良いなあ」と言った。

学校の先生たち、友人の親たちもそのように言った。

私は友人に対し、
「(生活には困らない程度の)普通のサラリーマンの家庭に生まれれば良かったなあ」と思った。

 

いずれもナンセンス(無意味)です。
何処に生れ落ちようと、その人に与えられた苦労があります。
その人に与えられた使命(=役割)があります。
必要なことは、私たちそれぞれが、それぞれに与えられた使命(=役割)を理解し、
互いを理解し合うことではないでしょうか。

 

「この両親の元に、(子供として)生まれて来よう」と考えて生まれて来る人はいません。
(見えない世界では因果関係があるかも知れませんが、それはわかりません。)

 

この両親に、この家庭に、この先祖たちの流れのなかに生まれて来たのには何らかの理由が必ずある。
果たすべき役割がきっとある。

私たちそれぞれに降りかかる様々な困難、それらに伴う苦しさ(総括して苦難)は、
私たちをさらに正しい方向へ導いてくれるためにある。

苦難は、私たち自身がさらに善い方向へ向かうための手助けをしてくれる。

苦難は、私たちの味方であり、もっとも親身に私たちを思い、やって来てくれる正義の友である。

だからこそ、喜んで受け入れるべきである。

何が起こっても、「これが良い」と受け止めること。
純情(すなお)な心で、ありのままを受け止めること。
全ては私たち自身を、より善い方向へ導くためにある。
ただそれだけのために、苦難は存在する。

 

「苦難をすなおに受け入れること」
「苦難を招くきっかけとなる、自身のわがままを知り、それを取り去って行く行動をしてみよう」

 

本書を読み、自身を振り返り、そのように考えることが出来ました。

 

 

岩手県内倫理法人会所属  T